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zoom RSS とおるの読書録 平賀源内(杉森久英)(人物日本の歴史 15 封建の異端 小学館)

<<   作成日時 : 2009/07/29 13:21   >>

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平賀源内(杉森久英)(人物日本の歴史 15 封建の異端 小学館)


 
  ここに記述された内容のあらましは見出しを綴ればおおよそ見当が付くのでこれを示す。

奇才の素地(天狗小僧、高松藩の蔵番役、長崎への留学、心は江戸へ)
世に売り出す本草学者(物産会を開く、気鋭の本草学者、藩からの呼び戻し、一介の素浪人)
多才な時代の先取り(竜骨談義、舶来ブーム、火完布の発明、寒暖計の製作、金山採掘)
風来山人の面目(文人の仲間入り、根南志具佐、みずからへあざけり、風流志道軒伝、露骨な悪趣味)
稀代の大山師(二度目の長崎行き、金の為なら、人騒がせなエレキテル、ペテン師獄中に死す)


  人物日本の歴史による、歴史人物の記述を伝記物として読もうとするのは誤りであろうか。ところが読みすすめると杉森久英は終始、平賀源内がやったことはほぼ全面的にインチキで、うんさ臭い人物だと書かれているには驚いた。


平賀源内研究の第一人者による徹底的な考証によっての記述であろうからこれには嘘はあるまい。しかしながら、かような人物が中学、高校と教科書に堂々と出て
いるのは不思議だ。教科書に記載される理由は 江戸時代においてすでにエレキテルや温度計などを作った他多方面に奇才を発揮した日本人がいたという事実が、青少年を奮い立たせるいい材料と、明治以降の教育者が考えたからだろうか、それとも平賀源内のやったことの内容はともかく、その時代での評判、知名度から消す去ることの出来ない人物であったからだろうか。書かれたとおりのインチキ山師であったなら、教科書に書かれたことは私だけでなく日本人は皆大迷惑であったと思われる。



   杉森久英曰く”平賀源内の名前を最も有名にしたのは エレキテルである。平賀源内は長崎で壊れたエレキテルを手に入れて江戸の持ち帰り、様々な工夫の後、どうやら修理することが出来た。これを大名や富豪に持ち回り謝礼を稼いだ。平賀源内にとって致命的であったのは、彼が西洋の博物学や露高額について何一つ知識を持たなかったことだ。もっともその点では当時の日本人は皆同じであったから彼を一人非難することは出来ないが・・・。彼の一生は外見だけ良く似たまがい物を作ることに熱中した一生だった。それにしては良くもまああそこまで良くやった。他のものではとても出来なかっただろうにといういうのが、彼に与えることの出来る唯一の
ほめ言葉だといっていいだろう。”



  文芸については杉森久英は例外的にインチキでないと次のように述べている”健全な社会では大山師、ペテン師、いかさま師とよばれてもやむをえない平賀源内が、文芸の世界ではほかならぬその山師的・ペテン師的才能を思う存分に発揮して、読者を奔放な空想の世界に誘うのである。幾つかの欠点は数えられるが、彼の非凡な文才を否定することは、誰にも出来ないだろう。この世界では荒唐無稽は悪徳ではなく、美徳なのである。


  戯作者としての平賀源内の才能をはじめて世の中に認めさせたのは風来山人という筆名で書いた作品、根南志具佐(ねなしぐさと読む)であった。この中でも平賀源内の機知は随所に見られる。たとえば地獄の活況を書いて、つぎのように言う。

「閻魔王宮も、昔はさのみ忙しくもあらざりしが、近年は人の心も捻じ曲がってきたゆえ、様々の悪作る者多く、日にまして罪人の数かぎりもあらざれバ、

前々よりありきたりの地獄にては、地面不足也とて、閻魔王困りたるところを窺がい、山師共は内証より付けこみ、役人にて てれん追従賄賂などして さまざまの願を出し 

極楽海道十万億土の内にて、荒地をみたて、地蔵菩薩の領分、ナス畑辺り切り開き、数百里の池を堀り、すほうを煎じて血の池をこしらえ、山を築ては剣の苗を植えさせ、罪人をはたく臼も、獄卒どもが手が届けざればとて水車を仕掛けさせ、焦熱地獄にはふいごを仕掛け、其他活黒縄無間地獄等の外に、さまざまの新地獄をこしらえて、岡場所地獄と称し、


三途の川のばばも、一人にしてハなかなか手まかりえぬとて、久敷地獄に堕居たりし浅草の1つ家の婆、安達が原の黒塚婆、堺町の筍婆、そのほか娑婆にてよく婦をいびり、継子を憎みたる悪婆どもの罪をゴホ麺あり、三途の川の婆の加勢に入れて、段々地獄も広まりければ・・・・」




という面白さ(^O^)









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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
夏土用の丑の日にウナギを食べる風習を平賀源内の発案と言うのは間違いです。中国から輸入された陰陽五行説によります。暦上は7月の20日には夏が終わり土用(四季にあり年4回あります。)になります。暑さの一番厳しい折に丑密時に通じる陰(寒)の一番強い季節、時間帯をかり「う」の字のつく食べ物を食べ涼しさを感じると言うのが古来からの謂れです。
江戸川風景
2009/08/15 15:38
昔の人の知恵が風習になるのは良いですね。
ウの字を食べるというのは、日本人らしいこじつけですが、そういうことで世の中が運用されていたというのも、庶民のこととは云え、日本人も悠長なものだと思いますね。
とおるの旅
2009/08/15 15:57

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