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zoom RSS とおるの読書録  ”春宵十話” 岡潔  (日本的情緒について その3)

<<   作成日時 : 2008/04/03 11:31   >>

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      東高根森林公園 桜の咲くころ 2006年 春 撮影




これぞ日本の情緒!

子供はこの景色がかもし出すものを、情緒の中心に位置づけて欲しい。



とおるの読書録

 ”春宵十話” 岡潔 

 情緒が人間の中心にあるという岡潔が、「日本的情緒」という章立てで話を進めている。岡潔にとっても渾身を入れてこの部分に対応したに違いない。
   まずはその、「日本的情緒」の大切と思われる部分を引用して、とおるの考えを入れてみたい。


日本的情緒

  この日本的情緒がくにの中身である。これが決まっているのだから、箱に相当する教育や政治はこれに合わせて作るほかはないのである。私たちが幽遠の世から続いてきたこの美しい情緒の流れを悠久の後まで続けさせる使命を負っているいるのを考えるとき、今はなによりも、教育、特に義務教育が重大なものとして浮かび上がってくる。

  しかし、新学制の義務教育は明らかに大変な失敗である。顔つきが変わってしまうほどに動物性がはいってしまい、大自然から人の心情に射す純粋直感の日光は深海の底のようにうすくされているからである。・・・・・・

  何よりも先ず動物性を持ったものを教育者にしないことである。闘争性、残忍性、すこしでもそんなものがあってはならない。師弟は互いに敬愛すべきであって、大自然の子を畏敬尊崇できないものは師たるの基本が出来ていないのである。


  動物性の侵入を食い止めようと思えば、情緒をきれいにするのが何よりでも大切で、それには他のこころをよくくむように導き、いろんな美しい話を聞かせ、なつかしさその他の情操を養い、正義や羞恥のセンスを育てる必要がある。

  そのためには学校を建てるならば、日当たりよりも、景色のよいことを重視するといった配慮がいる。しかし 何よりも大切なことは教える人のこころであろう。

  いまの教育では個人の幸福が目標になっている。人生の目標がこれだから、さあそれをやれといえば、道義というかんじんなものを教えないで手を抜いているのだから、まことに簡単に出来る。いまの教育はまさにそれをやっている。それ以外には、犬を仕込むように、主人にきらわれないための行儀と、食べていくための芸をしこんでいるだけである。しかし、個人の幸福は、つまるところは動物性の満足にほかならない。・・・・




感想
 
人はもともと立派になる素質をもって生まれてきている。智力とかいう言葉を使っている。

 智力は日本の大自然がその力を持ってあいる。学校で教える代物ではないようだ。

 いろいろ思いあたるところが多い。忘れかけていた日本の価値観をよくぞ思い出させてくれた。

  しかし、日本のこの良き価値観は、崩壊してしまっているだろう。よく考え立て直すことが出来るのも、人間だろう。

  環境問題はこのくにで大キャンペーンが展開されようとしている。同じように、教育問題も各家庭で考えられて然るべきだ。

  岡潔の話はとても納得がいくが、皆も同じだろうか。


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