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zoom RSS とおるの読書録  ”春宵十話” 岡潔 2 &  東高根森林公園

<<   作成日時 : 2008/04/01 12:40   >>

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2008年3月30日 桜の咲くころの春寒に 東高根森林公園 白木蓮など


これぞ日本の情緒!
日本の子供はこの景色がかもし出すものを、情緒の中心に位置づけて欲しい。



とおるの読書録

 ”春宵十話” 岡潔 

この冊子から書かれていることのうち肝要と思われる部分を引用したい。



人の情緒と教育


  これは日本だけのことでなく、西洋もそうだが、学問にしろ教育ににしろ「人」を抜きにして考えているような気がする。実際は人が学問をし、人が教育したりされたりするのだから、人を生理学的にみたらどんなものか、これがいろいろの学問の中心になるべきでないだろうか。・・・



 人に対する知識の不足が最もはっきり現れているのは幼児の育て方や義務教育の面ではなかろうか。人は動物だが、単なる動物でなく、渋柿の台木に甘柿の芽をついだようなもの、すなわち、動物性の台木に人間性の芽を接ぎ木したようなものといえる。それを何でもよい、早く育ちさえすればよいと思って教育しているのが今の教育ではないだろうか。渋柿の芽は甘柿の芽よりもずっと早く成長するから、成熟が早くなることにも、成熟が早くなることに大してももっと警戒しないといけない。すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい。これが教育というものの根本原則だと思う。・・・・


 成熟が早くなったのは、人の人たるゆえんのところを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか。ではその人たるゆえんのところはどこにあるのか。私はこれはとりもなおさず人の思いやりの感情にあると思う。この感情を分かるというのが実にむずかしい。・・・・・


  どうも今の教育は思いやりの心を育てるのを抜いているのではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯罪の特徴がいかにも無慈悲なことにあることに気づく。これはやはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う。・・・


 いま、たくましさはわかっていても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけいるか。人の心を知らなければ、物事をやる場合、緻密さがなくなり粗雑になる。・・・・





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上記の文章に対するとおるのコメント


 平伏したいほどに ごもっともである。これらのことに対して学問が何故出てこないか疑問でさえある。
 これに対して現実はこんなに酷いとか、そうは言ってもどうしたらいいのかということは、いろいろ書ける。何を書くことになるだろうか。

  動物性の発達は、人間が人間性を持つことを阻害する。たしかに教育の過程ではそのようでもあろう。しかし、いまは動物性が悪いという価値観にはもはやなっていないのではなかろうか。

  これは西洋の価値観が入ってきたのであろうが、人間性とは動物性を含めたもので、人間は動物であることを否定していないのではないか。たとえば、ポルノを認めるのはいい例ではないだろうか。

  西鶴らの人情本や露骨な版画などは 世界でも動物性を認めた屈指のものと思える。日本でも一方で儒教や禅の教えの厳しさもある中で、庶民は動物性も含めた人間性が一般的な時代もあった。

 人間性とは動物である前提での人間性と言うことで後戻りは出来ない状況のように思える。したがって、思いやりも動物性を含めた思いやりということになろうか。

  成熟という言葉の中には動物性を含んでいて、成熟を子供の教育の段階では遅らせ隊といっている。

  子供が人間として育つまでは世の中の成熟を認めた様々なものから、子供を遠ざけておくかというテーマでもあろうか。
 
 

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